Life(kankan_yame’s blog~シンプルで楽しく過ごそう~)

人生「シンプル」で「楽しく」をモットーに生きる看護師が、色々な悩み事から、共有・共感したいことを綴る何気ないブログです。

夫婦の形って

夫婦って『他人』なんだなぁ

当たり前だけど、忘れがちなこと。。。

 

結婚して15年以上がたち、子どももいますが、時々意識しないと忘れちゃう

婚姻届けという、ペラペラの紙きれ1枚で、誓い合い、夫婦となってしまう。

 

忘れてはいけないのは、子どもにとっては、母親だけど、

自分にとっては母親ではなく、「妻」

そう、妻なんです。。。

家政婦でもなく、家庭教師でもなく、風俗でもなく、妻です

 

意識しないと、甘えて忘れてしまいます。

ご飯を作って欲しい、お風呂を入れて欲しい、相手をして欲しいって。

要望ばかりが多くなって、結局はあまえてしまう

そして、自分の思い通りにしようとする。。。

 

結婚相手に望むのは?

お金? いい暮らし? 安定? 贅沢? sex?子供の世話?

何がお望み?

お互いが納得してるならそれはそれでありと思う

 

んーーー、改めて考えると難しい。

たぶん、結婚した時は一緒に色んなことを共有したいと思ってた。

だけど、年数を重ねるとスコンと抜けてる

 

一緒に笑って、美味しいもの食べて、寝て・起きて

いまは、一緒に共有できてるかなぁ?

一緒にいて妻は笑顔かな??

こうやって、考えること自体が久しぶりかも・・・

 

最近、見直すきっかけがあって改めて考えると、妻のことより

自分のことばっかり。

「あれしたい」、「これしたい」

自分の役割は、仕事して稼いでくること??

んー違う気がする。

 

それも含めて、自分の役割は相手を笑顔にすること!!

大切なのは「思いやり」

夫婦って「究極の無償の奉仕」かなって感じる

(看護師してるからこんな表現かも)

・笑顔にするために「これをしてあげたい」

・健康でいて欲しいから「これをする」

これって究極の奉仕じゃないかな?

 

疲れてたら、難しかったり、いつもは無理かもしれないけど、

そういう感情をもっとくのはすごい大事なことじゃないかな

 

逆に

・自分が楽したいから、「あれやって」

・自分が気持ちよくなりたいから「エッチしよー」って。

ベクトルが「自分」だと、思いやりがない。

 

嫌だけど、夫婦だからしょうがないってのも違う気がする

夫婦の前に、一人の人間だし、嫌なものは嫌!

求めあっても、求めるものが違うなら、求める形を考えないと

続かない。

それをそのままにしとくと、たぶんどこかで爆発する。

だから、それを話しあうことも大切・・・

嫌なこと、話しにくい事こそ、夫婦だから話し合う

『我慢』と『思いやり』は違う

我慢はどこかで限界がくるよ

我慢してまで、ずっと一緒にいれるかな

 

「夫がいると嫌だ」「全然何もしてくれない」

こんなことを職場で聞けばきくほど、自分はどうなんだろう?って思って

見直すきっかけになる。

「相手のこと思ってる?」って?

 

他の夫婦のことは、あまり言いたくない。

だっていろんな形があるから。

思いやりがなくなっても、お互い役割分担して割り切った夫婦関係も

ありだと思う。

依存しあう形があってもいいと思う。

本人たちがお互いに納得してるなら、そんな夫婦の形があってもいいと思う。

 

でも、やっぱりお互いにを思いやれる形って

夫婦の形としてすごくいいと思う!

 

死ぬときに、一緒にいてよかったって思える夫婦でいたいなぁ~

TANP